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「ここは……礼拝堂?」

「改めてみると、この礼拝堂ってほんとキレイ……映画や絵本に出てくる場所みたい」

「……王子様がでてきそう」

「えっ!?」

「やあ、待たせたね」

「えええ? 久我くん!? なんでここにいるんですかぁ? それにまた扉壊しちゃって!」

「君が呼んでいる気がしたから」

「……えっ」

「さあ、行こう」

「ど、どこに? っていうか、きゃ!?」

(こここここれは、夢のお姫様だっこー!)

「羽のように軽いね」

「えっ……そ、そんな……」

「……風呂屋……」

「久我くん……」

「……そんなに見つめないで……そんなに見つめられたら、わたし……」

「風呂屋町ーーーーーー!」

「え!?」

「や、やだ、夢!? わたし、なんでこんな夢みてるの!?」

「何言ってるんだ。寝ぼけてるのか?」

「あ、あれっ?」

「まったく……」

「やだ、授業中……!」

「はい、ここから風呂屋、訳して」

「ふえええ~~」

「なんだ、若人よ。この晴れ渡る空の日に暗い顔だな! はっはっはっはっはっは!!」

「いや、晴れ渡ってはないですけどね。もう夜だし」

「なんだ久我君、君もすっかり夜の世界に慣れてきたようだな! はっはっは!」

「これだけ毎日見てればそりゃ慣れもしますよ……」
俺とおまるは、またもや学園長室に呼び出されていた。

先日の騒ぎで怒られて以来だ。

基本的にこの部屋にくるとよくないことがある。

そんな気がする。

「あの、何かまたまずい事があったんでしょうか……」

「何もない方が嬉しいけどな」

「ううむ、至極無念。苦難を乗り越えてこそ、若人の生きる道というもの。平穏安寧を願うのは、齢を重ねて
からでいいのだよ」

「……苦難?」

「あーもう、もったいぶらないで、早く用件を言ってください! どうせ面倒なことなんだろうから」

「鍵がない」

「は?」

「鍵って、この間の騒ぎの時の鍵ですか? あれなら全部回収したはずじゃ……」

「そうです。風紀委員さん達が元の場所に戻してくれたと思いますけど」

「ああ。君たちは確かにあの時は尽力してくれた……」

「だが、ひとつだけ足りぬのだ! しかもとてもやっかいな鍵がっ!!」

「昨日気がついてな」

「昨日ですか! おそっ!」

「仕方ないだろう。私はこう見えても忙しいのでな。な、ニノマエ君」

「ぢー」

学園長の首にまるで襟巻きのように巻かれていたオコジョが声を発した。

よかった、生きていた。

「えっと、じゃあ、その鍵を俺たちに探せと」

「……それが苦難なわけですね」

「多分」

「多分って!」

「それを困難と取るかは持つものの次第。吉と出るか凶と出るかはそのもの次第」

学園長はにやりと笑った。

なんだかそれが楽しそうな様子で、鍵がなくなって困っているようにはみえない。

「……本当にその鍵、探さないとならないんですか?」
「そうだよ。そう言ってる。だから、君たちを呼んだのではないか」

「ちなみにこういう形の、こうで、こうで、こんな鍵だよ」

いつかの学園の地図を思い出させる謎の記号的な絵を、手近なメモ用紙にさらさらと描く学園長。

……まあ、鍵っぽいことは伝わるが。

捜索の参考にはなりそうもなかった。

「うーん……」

「早く見つからないと困る。な、ニノマエ君」

「ぢーー」

「いったいどこの鍵なんですか?」

「行きたいところに行ける鍵。望めばどんな場所でも」

「はぁ!?」

「しかし、使いすぎると問題が起こる。魔力が足りなくなると……」

「いや、ちょっと待ってください。魔力とか、どんな場所にでもってその鍵ってまさか……」

「おや? 言ってなかったかな? そうだよ、なくなった鍵とは遺品だ」

「ええええっ!? それは大変じゃないですか!」

「あっはっはっはっは! そうなのだ! 大変なのだよ! はっはっは!」

「笑い事じゃねえだろ……それで、何でしたっけ。魔力が足りなくなるとどうなるんです?」

「思いもよらぬ場所に辿り着く」

「えっ、それはどういうことです?」

「地の果てか、はたまた天の頂きか。そこがどこか知る者はいない。なぜなら……」

「帰ってきた者はいないからだ!」

「そりゃ大変だ……」

学園長の様子からはあまり危機感が感じられないが、ヤバイ鍵であることは間違いなさそうだ。

正直もう少し早く紛失しているのに気がついてほしかったが。

「なんでそんな鍵があるんでしょう……」

「魔力が足りていれば問題ないからな。そういう人間が拾っているなら、まあ大丈夫だろう!」

「そうとは限らないでしょう!」

「まあまあ、そう憤らずとも」

「ぢー」
「学園内で行方不明になったものがいる、という報告はまだないのだからな」

「そうだとしても……」

とにかく、誰にも拾われていないことを期待するしかない。

そのほうが探すのも楽だろう。

俺は半分ヤケ気味に、学園長からの依頼を承諾した。

「とにかく探してみます」

「期待しているよ! はっはっはっはっはっは!」

「まったく、おおっぴらにぐうすか寝られちゃ示しもつかないってもんだ」

「……すみません」

「とりあえず、授業で答えられなかった部分は明日提出すること」

「……わかりました」

「お」

「あっ、次、移動教室! 失礼します!」

「ふう、お説教長かったなぁ……。もうみんな移動しちゃったよね。次の教室遠いし……」

「でも大丈夫……」

「この間、拾ったこの鍵があれば、どこでも行きたいところに繋がっちゃうもん! 体育の着替えで遅くなっ
た時も助かっちゃったし」

「行きたいところを思い浮かべて……」

「……もしかして、会いたい人のところにも行けちゃったりとか??」

「君が呼んでいる気がしたから」

「……えっ」

「さあ、行こう」

「やっやだっ、わたしなに考えてるの……! ちがうちがう! 移動教室! 移動教室!」

「鍵を……」

すっかり俺にはお馴染みになった特査分室で、学園長からの依頼を、モー子に説明した。

「さて、どこから探したものかと」

あの妖精の事件を思い返しているのか、モー子が視線を少し泳がせながら言った。

「確認しますが、妖精が集めた鍵の山にはその鍵はなかったということですね」

「あの鍵の山については風紀委員からの細かい報告があったみたいなんですけど、そこにはなかったそうで
す」
「ということは、紛失した鍵はどこか別の場所に持ち出されてしまったということですか」

「持ち出せるとしたら……」

「犯人は妖精だな」

「でも、例えば学園の誰かが盗んだとかはないの?」

「曲がりなりにも遺品です。簡単に盗み出せるような所にあるとは思えません」

「まああの学園長だからそこらに放置してそうな気はするけどな……」

「それはきみの偏見です、学園長は私の知る限りそのような物の扱いをする人間ではありません」

「ハイタースプライトのような探し物専門の遺品でなければ持ち出せる可能性は低いと考えます」

「うーん、でも鍵の山の中にはなかったんだよね……?」

「あの騒ぎの途中で鍵を持って飛んでいった妖精を見ただろ」

「あ! 礼拝堂に行く前に、そういえば」

「そうです」

「あの妖精、追いかけないで放置したよな?」

「学園長がいう、やっかいな鍵ってアレだったんじゃないだろうか。よりにもよって……だけど」

モー子が悔しそうに溜息をついた。

「回収するべきでした。大失態です」

「あの妖精が持っていたのが、その例の鍵だったとして……今はどこにあるんだろ?」

「遺品を封じた時点で、妖精って消えたんだよな?」

俺はモー子に確かめた。

「はい」

「だとしたら鍵だけが学校のどこかに取り残されたってことか」

「誰かが拾ったとか?」

「落とし物として届いてないか、確認しましょう」

そう言うとモー子は分室にある内線電話で、どこかに電話をかけた。

「学園の落とし物は学校の事務室で預かってるから、そこに連絡してるんじゃないかな?」

なるほど。

鍵を拾ったとしたら、大抵の人は届けるだろうしな。

「……そうですか。お手数をおかけしました」

モー子は静かに電話を切った。
「どうだった?」

「ここ数週間、鍵の落し物は届いていないそうです」

「とすると、誰かが拾ってそのまま持っているか、人目に付きにくいところに落ちちゃってるか」

「うーん、とりあえず学園内くまなく探すしかないか……」

「ええっ!? うちの敷地けっこう広いよ!?」

「だよなあ」

「しかし、やるしかないでしょう」

とは言っても、誰かがこっそり拾っていたとしたら、探しても無駄足になってしまいそうだが。

そこでふとある案が思い浮かぶ。

「そうだ! いっそのこと、ハイタースプライトを使うのはどうだ? 特徴を伝えて探してもらえば……」

「………………」

その瞬間、モー子から絶対零度の一瞥が繰り出された。

「では、きみがハイタースプライトを入手してきてくれるのですね?」

「残念ながら、私や烏丸くんは遺品を収めてある地下宝物庫には入れませんので」

「あっ……」

思い出した。

そういえば、リトが言ってたな。

『侵入者を防ぐために、宝物庫にはそもそも人間は入れない』って。

「まさかきみが人間ではないとは、思ってもみませんでした」

「……そんなに皮肉っぽく言わなくてもいいだろ」

「基本的なことを忘れているきみが悪いのです。特査分室の仕事に本気で取り組んでいるのか、疑問に思いま
すが」

「俺はちゃんとやってるよ! 今のは、ちょっと言ってみただけだろ」

「と言っても、私としては別に本気で取り組んでいただかなくても結構なのですが」

「私の邪魔さえせず、おとなしくしていてくださればそれで」

モー子の視線の温度がさらに下がった気がした。

思わずかちんと来てしまう。

「あのなー」

「あ、あの二人とも……」
俺とモー子の間に微妙に冷たい空気が流れる。

その時。

ノックの音に俺たちははっとなった。

「はーい、今、開けまーす」

俺とモー子の険悪な雰囲気が一旦消えたのに安心したのか、おまるが軽い足取りでドアに向かった。

そして、そのドアを開けると……。

「ごめんね。忙しいところ」

「……お邪魔します……」

現れたのは白い制服に身を包んだ夜の学園の生徒。

確か、二年生の射場久美子と七番雛、だったはずだ。

「ちょっといいかな。気になることあってさ」

「実は、一年生の女の子が、行方不明になっています」

「!!」

その場にいた誰よりも早く、そして鮮烈にモー子が反応する。

「それは本当に行方不明なのですか!?」

聞いたこともないような、上擦った声でそう言った。

――動揺している? それとも……。

「…………」

「憂緒さん……?」

「あ」

「失礼しました。先を聞かせてください」

モー子はいつものような冷静な表情に戻った。

俺が気になったのは……。

「モー子、どうかしたのか?」

「なにがですか?」

モー子はいつもと同じような絶対零度の一瞥を俺にくれた。

「いや、いつもと違うっていうか。今の話に食いつきがすごかった気がしたから」

「きみの気のせいでしょう」

「えー?」
「行方不明、という事象は、そもそもがおおごとです」

「まぁそうだけど……」

確かに言われたらその通りだが、でもさっきはいつもと明らかに様子が違うように思えたんだよな。

「その一年生の名前はわかりますか?」

俺には構わず、モー子は話を進めてしまった。

「風呂屋町眠子さん」

「え、風呂屋町さん!?」

俺たち三人はそれぞれに顔を見合わせた。

「風呂屋が行方不明……?」

「先生だかに説教されてて、移動教室に向かうのがひとり遅れたらしいんだよ」

「で、移動している最中に行方不明になったらしくて」

「これです」

「これは……?」

雛さんは手にもっていたものを俺たちの前に差しだした。

「風呂屋町の手提げで、教室移動する時にノートとかいれるのに使ってるやつだって」

俺はその手提げを受け取った。

布で作られたもので軽い。

中身はあまりはいってないようだ。

「それだけが廊下に落ちてたって……」

「……」

「それは確かにヘンですね」

「ああ。袋ごと落とすということは考えにくい」

「移動教室に現れなかった風呂屋町のこと、最初は『具合悪くなって保健室にでも行ったのかも?』くらいに
クラスの子たちは思ってたらしいんだ」

「でも、その授業が終わってから探してもどこにも姿がなくって、廊下にその手提げが落ちてたってわけ」

「教室で一年生が騒いでいて……」

「そこにあたしとヒナがたまたま通りかかってさ。事情聞いたわけ。で、ここに相談しにきたんだ」

「うん」

二人の説明を聞き終わって、モー子が頷いた。

「分かりました。これは特査分室で扱うべき事項だと思います」
「速やかに調査を開始します」

モー子、やけに前のめりだな?

でも、確かにその奇妙な状況を聞くと、風呂屋になにかあったことは間違いない。

「確かに心配だな」

「引き受けましょう!」

「そっか。助かったよ。一年生にそう言ってくる」

「この手提げは預かっても?」

「はい」

「じゃあ、よろしく」

射場さんと雛さんは、特査分室を出ていった。

二人が出ていった後に残されたのは、風呂屋のものだという手提げ。

薄いピンク色の布製のものだった。

「中身を調べてみましょう。何か手がかりがあるかもしれません」

「あ、ああ」

女の子の持ち物を見るのは気がひけるが、今はそんなことを言ってる場合ではない。

「えーと、教科書、ノート……」

手提げの中から取り出した物を机の上に並べる。

「ペン入れに……」

「なるほど、次の授業に使う物だけをいれてあるんだね」

「これは、ティッシュケースか」

そして、袋の底に残った明らかに授業には関係のなさそうなもの。

俺はそれを取り出した。

「……鍵」

二人にもよく見えるように、俺はその鍵を掲げた。

「あ」

「それって!」

「妖精が持っていたものに似てないか?」

俺は二人に問い掛けた。

モー子もおまるも頷く。
「似てる、似てるよ!」

「と言うことは」

「学園長が探している鍵はこれっぽいな」

この鍵が学園長が探している鍵だとして、風呂屋が持っていて、そして風呂屋の姿がないと言うことは……。

「確かめましょう」

「え?」

モー子の言葉に俺は驚く。

「風呂屋がどこにいるのか判るのか!?」

「……久我くんが考えているのは、風呂屋町さんの行方にその鍵が関わっているということですね」

「この状況なら、そう思うだろ!?」

「その可能性が高いことは否定しません。ですが、まずその鍵が本当に学園長が探している鍵なのか確かめる
ことが先決でしょう」

「確かに見た目は似てるけど、鍵なんて、大体どれも同じ形だもんね」

俺は改めて、持っている鍵を見た。

確かになんの変哲もない古びた鍵。

どこにでもあるものと言われてしまえばそうだけど。

「行きましょう」

モー子は、そう言うなりドアのほうに向かって歩き出した。

「おい、どこに行くんだ?」

「リトさんの話を聞きに。遺品のことは彼女が一番詳しいので」

図書館の不思議な住人、リト。

確かにこれが本当に学園長の鍵で、遺品でもあるのならそのことを知っていてもおかしくないのかもしれない。

「おい、待てよ」

さっさと歩き出したモー子を俺とおまるは慌てて追いかけた。

「あら……」

静かな図書館の一角。

巨大な書架の奥の奥に彼女はいた。

いつものように大きな本を抱えて。

「みなさん、お揃いね」
「聞きたいことがあります」

「私にわかることなら。鹿ケ谷憂緒」

「これを見てほしい」

俺は持っていた鍵をすっとリトの目の前にかざした。

「これって学園長の鍵かな」

「いいえ」

「えっ? 違うのか?」

「久我くんの質問の仕方が悪いのです。リトさん、この鍵は遺品ですか?」

「そうよ」

あっさりと彼女は答えた。

「遺品ならば、厳密に言えば学園の所有物……だから学園長のものかと聞かれれば否定されます」

「ではリトさん、この鍵は学園長に預けられていましたか?」

「ええ。その鍵は九折坂二人が所持していたはずよ」

「行きたいところに行ける鍵、ってのは本当なのか?」

「本当」

「この鍵の効力について基本的な解説をお願いします」

「これはヤヌスの鍵。使用者が頭に思い浮かべた場所に一瞬で行くことが出来る遺品よ」

「やはり……」

「風呂屋町さんはこの鍵を使ったのかな?」

鍵だけが残されて、風呂屋の姿はない。

風呂屋になにかが起こったことは間違いないだろう。

「これを持っていたのは一年生の風呂屋町眠子って子で、今行方不明になってる」

「そうなの?」

「この鍵はこの間の妖精騒ぎの時に回収しきれなかったんだと思う。それがたまたま彼女の手に渡ったんじゃ
ないかと」

「それで……」

「これを彼女が使ったとしたらどうなる?」

「魔力が足りていたら、望む場所に辿り着くわ」

「では、足りなかったとしたら?」
「目的の場所と、遺品を使用した場所の間、途中の空間に繋がるわね。魔力が足りない分だけ距離が半端にな
るの」

「途中? なんだか漠然とした感じ」

「学園長はとんでもない場所に辿り着くって言ってたけど、そういう可能性は?」

「そうね。途中であればどんな場所かはわからないから、天井裏や床下みたいなとんでもない場所に出る可能
性はあるわ」

「うわ、それはやだな」

リトは、答え終わってにっこりと笑った。

さて、他に何を聞こう。

「彼女がどういう鍵か知らないで使ったとしたら?」

「つまり、望んだ場所に行ける鍵だと知らないでだ」

「その時は無意識に思い浮かべていた場所や人のところに辿り着くわね」

「無意識の!? やっかいですね」

「そういう鍵なんだもの」

さて、他に何を聞こう。

「使う気がなくても作用するのか?」

「それはないわ。――――こうやって」

リトは鍵を持っているような仕草をした。

そして、手首をひねる。

鍵を開ける動作だった。

「鍵を使用し、意志を持って扉を開かなければ、作用はしないの」

「つまり、鞄やポケットにいれているだけでは、魔力が足りていたとしても作用はしない?」

「その通りよ」

「そりゃ持ってるだけで、どこかに飛ばされちゃたまったもんじゃないよね……」

「聞きたいことは以上かしら?」

そう言われて、考えを整理する。

鍵を使用する意思を持って使用しなければ、鍵の力が発動することはない。

そして使用者の魔力が足りていなければ、目的地の途中とはいえ予想もしない場所に繋がってしまう。

風呂屋が消えたのは、やはりこの鍵を使って予想もしない場所にたどり着いてしまったからなのか……?

「もうひとついいですか。先程無意識に思い浮かべていた場所や人のところに辿り着く、と言いましたね」
「ヤヌスの鍵は望んだ場所だけではなく、望んだ人のいる場所でも作用するのですか?」

「ええ、そうなの。会いたい人を思い浮かべると、その人に辿りつくようになっているのよ」

「と言うことは……」

「だったら……」

この鍵を使えば風呂屋のいる場所に辿りつけるんじゃないか? と言いかけると。

「ではこの鍵を使えば、風呂屋町さんのいる場所を特定できるということですね」

俺も今そう言おうと思ったのに……。

まあいい。

俺とモー子は同じ意見のようだ。

「可能ですよね、リトさん」

「あなたたちがその風呂屋町眠子という子と面識があれば可能よ」

「なるほど。具体的にその人物を知っていなければ不可能ということですね」

「ええ、その通り」

俺たち三人は、みな風呂屋のことを知っている。

だから、問題はないはずだ。

問題があるとしたら……。

「魔力が足りるかどうかか……」

「あ、そっか。足りなかったら、とんでもないところに出ちゃう可能性もあるんだよね、怖い怖い」

「二次遭難する可能性も考えられます」

「うっ……」

「私たちで使えるものでしょうか」

「ヤヌスの鍵は使用者を選ばないわ。ただし魔力が足りるのなら、だけど」

「リトさん、この中に鍵を適正に使える魔力のある人物がいるか、判断してもらえますか?」

「え! そんなことも判るのか!?」

「ええ」

彼女は、なんてことないように微笑んだ。

便利で助かるけど、何者なんだ、ほんと。

「お願いします」

「足りるやつがいればいいけど」
「ううう」

「……」

リトは、俺たち三人を順番に凝視した。

まばたきもせず、目を見開いて。

確認するようにしっかりと見ていた。

そして。

「あなたね」

すっと指さした先は。

「え、おれーーー!?」

「ええ。あなたの魔力なら、望む場所に行けると思うわ」

「ほ、ほんとですか!?」

「そういえば前にもおまる魔力が高いって言われてたな……」

「久我くん。鍵を烏丸くんに渡してください」

「あ、ああ」

ビビってる様子のおまるを気にもせずに、モー子がそう言うので、俺はその鍵をおまるに渡した。

「……がんばれ!」

「そんなこと言って、無茶苦茶なところに繋がったらどうすんの?」

「大丈夫。繋がったとしても、その中にはいらなければいいのだから」

「あ、なるほど」

「そ、そうか」

リトの説明におまるも安心したようだった。

「で、どうやって使えばいいの?」

「どの扉でもいいから、鍵を差し込んで回してみて」

「扉か」

「あれはどうですか」

モー子が指した先に、本棚と本棚の間にひっそりと扉があった。

「あれは物置の扉よ」

「あれでもいいんだろう? よし、おまるやってみよう」

「う、うん」
俺たちはその扉に近付いた。

鍵を持ったおまるが、さらに一歩前にでる。

「えーと、風呂屋町さん、風呂屋町さん……」

彼女の姿を思い浮かべてるのだろうか、ぶつぶつそう呟きながら、おまるは扉の鍵穴に鍵を差し込んだ。

普通、鍵が合わなければ差し込めないはず。

なのに、すっとそれは入り……。

そして回った。

「あ、開けちゃうよ」

鍵穴の鍵はそのままに、おまるがドアを開けた。

「え!?」

「なんだこれ!」

「これは……」

ドアの向こう。

普段は図書室の物置だと言う。

だから、きっと中は広くないだろう。

でも、今、俺たちの目の前に広がっているのは……。

「どこなんだここは……」

明るい世界だった。

でも、照明とも太陽の光とも違う。

空間全体から発光しているような感じだった。

そしてとても広かった。

例えば、大草原のような空間とでもいえばいいだろうか。

広すぎて奥がどこまであるか、見えなかった。

「学園の中とは思えない」

確かにそうだ。

そもそも、現実感がまったくない。

いったいここはどこなんだ。

「リトさん、ここはどこなんだ?」

聞けばなんでも答えてくれる彼女も、今回ばかりは困惑している様子。
小首を傾げる。

「わからないわ。この私にも」

「もしかして! 魔力が足りなくて、途中の場所に繋がったんじゃないの? どこかは見ても全然わかんない
けど!」

「それは、ありえないわ」

きっぱりとリトは言った。

そこは、自信があるらしい。

「じゃあ、この中に風呂屋がいるのは間違いないのか」

俺はそのとんでもない世界に一歩踏み出そうとした。

その時。

「待ってください!」

俺の足が踏み出す前に、モー子の鋭い声が聞こえた。

俺は振り返る。

「待ってください。うかつに踏み込むのは危険です」

「だけど、早く風呂屋を助けないと」

「それは判っています。ですが、どう見ても異常な空間に踏み込むのは危険すぎます。二次遭難してしまって
は、元も子もありません」

「もたもたしてて、風呂屋に何かあったらどうするんだよ!」

「まず、本当に危険はないのかどうか確かめる必要があります」

「う」

「まずはそれが先決です。助けに行っても帰ってこれないのでは意味がありません」

「確かにそうだけどさ……」

「やっぱりおれの魔力が足りなかったんじゃないのかな」

「仮に足りなかったとしても……」

モー子は、リトに聞いた。

「学園の外につながっている可能性はないのですか?」

「ないわね」

「それは、対遺品結界があるからですか?」

「そう」

「何だそれ?」
「ここには、学園の敷地内から遺品を決して外に出さないための結界が張られているの」

「その結界のせいで、遺品の作用も学園外には及ばないようになっている」

「地下宝物庫の結界はあなたたちが壊してしまったけれど、そちらの結界はまだ生きているわ」

「だから、学園の外には決してつながらないということですね」

「ええ。決してつながらないわ。すべての遺品はあの結界を越えることは出来ない」

「えっ、じゃあこれが学園の中……?」

改めて、その不思議空間を見てみたが、学園の中にこんなに広い場所なんてあるのか?

「この空間自体を調べる必要があります。まず学園の中にこのような場所があること自体がおかしいですか
ら」

モー子の言葉に、おまるも頷く。

「確かに……だって、学園の敷地より広そうじゃない?」

「……だなあ」

「リトさん、図書館に学園の敷地について書かれた本はありますか?」

「あるわ」

「その本にはこの空間についての記述はありますか?」

「ないわ」

「では、この空間に関して何か参考になりそうな記述はなかったでしょうか」

「それは私には判断できないわね」

「そうですか」

モー子とリトの問答は傍で見ていると、ちょっと奇妙だ。

モー子の端的な質問にリトは答えているが、聞かれたこと以外は答えない。

質問の仕方が悪い、とモー子は言っていたがもしかしてリトはいつもこうなのだろうか……。

「では、その本のある場所を教えてもらえますか」

「案内するわ」

「……では」

そこまで言って、モー子は開きかけた口を閉じた。

なにか、考えているようだった。

ややあって、モー子は再び視線をリトに向けた。

「リトさん。烏丸くんに魔力があるのは、間違いないのですね?」

「ええ、それは間違いないわ」
「彼はこの鍵を何回ほど正確に使えますか?」

「7、8回は確実に」

「判りました」

「烏丸くん」

「は、はいっ!?」

「鍵の運用を考えるときみが持っているのが最善のようです」

「でも……」

「この鍵を扉から回収して、この状態を学園長に話してきてもらえますか」

「学園長に?」

モー子はこくりと頷いた。

「学園長なら、何が起こっているか判るかもしれないからです。この状況を説明してきてください」

「私はリトさんと一緒に、この空間が学園のどこなのか調べます。手伝ってくれますか。リトさん」

「ええ、もちろんよ」

「二手に分かれたほうが確かに早いか」

「ええ、お願いします」

「――――ひとつ注意があります」

「その鍵は、学園長にはきみが持っているとは伝えず、しばらくの間特査分室が預かると伝えてください」

「ええっ?」

「思うところがあります」

「あの学園長が聞いてくれるのかな」

「そこは何とかしてください」

なんだかよくわからない頼みだ。

案の定、おまるは戸惑ったような表情。

しかし、モー子はそんなことは気にしたそぶりもなく。

「それと」

俺のほうを見た。

「くれぐれもその鍵で勝手なことをしないで下さい」

念を押すように、はっきりと少しゆっくりとモー子はそう言った。

まるで俺が勝手なことをすると、決めつけてるみたいだ。
「では、リトさん、行きましょう」

「ええ」

モー子はその場を離れようとした。

「わかった」

俺がそう言うと、モー子はちらりと視線を投げかけるだけで、無言で立ち去った。

リトが慌ててその後を追っていく。

「なんだよ、あいつ……」

「言いたい事があるなら言えばいいのに」

「まあまあ。きっとこの鍵がないと風呂屋町さんが助けられないとかだよ」

「だったら、そう言えばいいじゃねえか」

「う、うーん……そうだけど…」

「…………にしても、風呂屋は本当に大丈夫なのか…」

「うん、心配だね……」

俺はドアから、例の異様な空間を覗き込んだ。

空間は相変わらずの様子で、ただ果てしなく広がっているだけだった。

こんなところに、本当に一人きりでいるのなら。

心細いどころの問題じゃない。

「ドアの鍵を抜けば、普通の物置になるのかな?」

おまるが、ドアの鍵穴についたままの鍵を見た。

「憂緒さんは鍵を回収して学園長のとこ、行けっていったけど、鍵を抜いたら、この空間は消えちゃうんだよ
ね?」

「……多分」

おまるは鍵を抜くのをためらっているようだ。

気持ちはわかる。

もしかしたら、この空間のどこかに風呂屋がいるかもしれないんだ。

その繋がりを消してしまうのは……。

「さて、どうしたもんか……」

しかし、手をこまねいて見ていてもしょうがない。

ここはモー子の指示に従うしかないだろう。
「おい、おまる……」

「みっちー、見てよ!」

おまるが指さした。

俺ははっと、ドアの中の空間を見る。

「消えだしてる!?」

ドアの向こうの空間が、ノイズがはいったかのようにその姿がブレている。

うまく言い表すことができないけど、空間自体が消えかかっているように見えた。

「放っておくと、鍵の効果が消えるのかな?」

「それは判らない。でも……」

その時。

「きゃあああああああ!!!!」

女の子の悲鳴が聞こえた。

「風呂屋か!?」

そして、俺は気がつけばドアの中に足を踏み入れていた。

一瞬、めまいがしたような気がしたが、なんともない。

「みっちー、大丈夫!?」

振り返ると、ドアの向こうにおまるがいる。

なるほど、消えかけてはいるが完全に空間が分断されているわけじゃない。

会話もできるようだ。

「危ないよっ! おれも行く!」

「ダメだ!」

「でも!」

「お前はそこに残るんだ。モー子たちにこの状況を知らせるやつが必要だから」

「俺はこのまま、ここで風呂屋を探す」

「……みっちー」

おまるは一瞬、ためらうような表情をしたが。

「わかった! でもちょっと待って」

おまるは急いだ様子で、ドアノブに手をかけた。

「受け取って!」
「おっと」

おまるが投げて寄こしたものを受け取った。

例の鍵だった。

「それがあれば、そっちから開けて帰ってこられるはず!」

「なるほど、そうか! ありがとな、おまる!」

「……あ」

鍵を確認して顔をあげると、すでにドアは消え、そしてその向こうのおまるの姿も消えていた。

俺だけが、この奇妙な空間に取り残されていた。

すでにドアがあった方向もよく判らなくなってしまった。

「いやあああーーーーーー!」

ぼーっとしている場合じゃない。

俺は急いで悲鳴が聞こえてきた方向に向かって走り出した。

奇抜で奇妙な世界を走り抜ける。

足下は普通に固い地面だった。

「お、おかあさーーーーん!!」

近づいていくと判ったが、声の主はやはり風呂屋っぽい。

この悲鳴はどう考えてもピンチな状況だ。

「風呂屋、どこだ!?」

叫んだが返事はない。

だが、悲鳴は聞こえ続ける。

その方向に向かって急いだ。

「な、なんだあれは!?」

ようやく風呂屋の姿が見えてきたが、俺は思わず足を止めた。

風呂屋は制服姿で、地面にへたりこんで、頭を抱えている。

「おとうさん、おかあさん、助けてーー!」

子供のように泣き叫んでいるが、無理もない。

昔懐かしの『後ろの正面だあれ』状態で風呂屋は『それ』に取り囲まれていた。

人間ではないし、少なくとも世界珍獣図鑑に載ってるとも思えない奇妙な生き物だった。

四肢があるが、体は岩のような色で、腕が長い。
ファンタジー映画に出てくる魔物っぽいというか。

「怖いっ怖いっ怖いよーーー!!」

よくよく見たらユーモラスな姿なのかもしれない。

でも、あんなものに囲まれたらパニックになってもしょうがないだろう。

風呂屋は完全に錯乱していて、俺がいることにも気がつかない。

「ためらってる場合じゃねーな」

俺は走り出し、勢いをつけて、その奇妙な生き物を背後から蹴り飛ばした。

上手い具合にそれは倒れてくれた。

「ひゃああああ!?」

「風呂屋!! 大丈夫か!?」

「え、ええええ!? 久我くん!? なっなんでここにっ!?」

「話は後だ。とにかく逃げるぞ!」

俺がそう言ったのに、風呂屋は立ち上がろうとしない。

「どうした? 怪我でもしてんのか?」

「え、えっと……えっと……」

(もう何が何だかなのに、さらに久我くんまで登場って……いったい何なの!? もももしかしてわたしまだ
夢みてる!?)

明らかに風呂屋は動揺していた。

立ち上がろうとはしているけど、体がついていってない感じだった。

腰が抜けているのか?

そうこうしている間に、奇妙な生き物の手らしきものが俺の腕を触る。

「やばい」

早くここを離れたほうがよさそうだ。

俺だって、こんなやつらの傍にはいたくない。

「ちょっとごめん」

「え!?」

座り込んでいる風呂屋の体を俺は抱き上げた。

「掴まってろ」

「う、うん!?」

風呂屋は俺の首もとにしがみついた。
俺は駆け出す。

「きゃああーーーーーー!?」

奇妙なやつらの間を俺たちはすり抜けた。

このまま、この場を離れられたら……!

しかし。

「えっ!?」

ちらっと振り返ると、とんでもないものが目にはいる。

あいつらが追いかけてきていた。

「追ってくるのかよっ!! しかも意外とすばしっこいな!」

「なっ、なに!?」

「もっとしっかり掴まれ!」

「え、えええ!?」

(つ、掴まってって、これ以上密着なんて! いいの!? しちゃってもいいの!?)

「ほら、落ちるから!」

「う、うん……」

(こ、これは不可抗力だから~! だからぎゅーってしちゃっても仕方のないことなんだから~!)

「これでいい?」

「ああ」

俺は走るスピードをあげた。

人ひとり抱き抱えてだから、これが精一杯だが。

俺は必死に走った。

こんなふうに走ったのはいつ以来なんだ?

「こ、久我くん、大丈夫!?」

「危ないから黙ってろ!」

「う、うん……」

(ど、どうなってるのどういうことなの、久我くんがこんなふうに駆けつけてくれるなんて)

(っていうか王子様だ! リアルに王子様だ! どうしよう本物の王子様だー!!)

(しかもしかもこの状況って!!)

「悪い、もうちょっとちゃんと掴まってて」
「あ、うんっ……!」

(おおおお姫様だっこですよ!? ちゃんと掴まっててだって! やばい本当に王子様!)

「くそっ、まだ追いかけてくるな!」

(きゃあーーー声が声が近い近すぎるぅ! いいい息がかかっちゃうよう!)

(あぁ~久我くんにならこのままどこか遠いところに連れ去られちゃってもいいかも!)

めちゃめちゃに走ったせいで、風呂屋がいた場所も、もちろんあの図書館への扉があった場所ももう判らなく
なっていた。

「はあっはあ……はあ……」

さすがに足ががくがくしてきた。

俺は立ち止まり、風呂屋を下ろしてあたりを見渡す。

幸い、妙な生き物の姿は見えなくなっていた。

なんとかまいたらしい。

あたりは相変わらず現実感のない奇妙な空間だった。

「……これ、毒きのことかじゃないよな」

あたりには、俺たちの背丈よりずっと高いキノコがいくつか生えている。

自分自身が体が小さくなる薬を飲んでしまったような気分だ。

「とりあえずこのキノコの影に隠れるか。おい、風呂屋……」

「は、はいっ!?」

俺が話しかけると、風呂屋はずざざざと後ずさった。

「え」

「…………えっと……」

(どっ、ど、どうしよぉ!! さっきまでお姫様だっこされてたから心臓がばくばく言ってるよぉ! しかも
ふたりきりだし!)

(ずっとひっついてた久我くんの胸、なんだか暖かくて……あぁ、つ、包まれてるぅ~って感じで……えへ
へ)

風呂屋はそのまま黙りこんで俯いてしまった。

少し震えているようにも見える。

「あー……」

多分風呂屋的にいろんなことが起こりすぎてるんだろうな。

あんな妙なものに囲まれた後、突然抱き上げられて。
年頃の女の子にマズかったかなあ。

でもそうするしかなかったし。

とりあえず、気まずい空気を取り払うべく、俺は風呂屋に声をかける。

「大丈夫か?」

「だ、大丈夫です!」

風呂屋は慌てたように手を振りながらそう言った。

とりあえず、怪我などはなさそうだ。

(やだやだもー、わたしちゃんと落ち着かなきゃ…! 久我くんにへんな子だって思われちゃう)

「さて、どうするか」

「あの……久我くんはどうしてここに?」

「ああ!」

そういえば、まったく説明できてない。

俺は制服のズボンのポケットから、おまるから預かった鍵を取り出した。

「これ、風呂屋が持ってたんだろ?」

「ああそれ! どうして久我くんが持ってるの??」

「ええと……」

説明すると長くなりそうだ。

それより、先にここから脱出したほうがよさそうだ。

「とにかく、この鍵を使ってここから出よう」

「う、うん」

「えーと、扉は……」

俺はあたりを見渡した。

「あるわけないか……」

周りにはばかでかいきのこしか見当たらない。

人工的な建造物の姿はなかった。

「それ、頑張れば扉がなくても使えるんです」

「え、そうなんだ?」

「行きたい場所をイメージして、鍵を回せばいいみたいで……前にそれで行けたことあるから」

「なるほど!」
それでやってみよう。

俺は見えないドアを開けるように鍵を持った。

行きたい場所。

先ほどまでいた図書館を思い浮かべる。

「……図書館に繋がれ……」

ガチャリ。

心の中で、そんな音を思い浮かべながら鍵を回してみた。

だが、何も起こらない。

「……………」

「俺じゃだめなのか……?」

手の中の鍵は、本当に遺品であるのか疑うほどに何の反応もない。

その時、突然脳裏にある記憶が甦ってきた。

「へえ……俺は?」

「魔術耐性があるようにも見えないのに、潜在魔力もほぼ無し……。あまり感じたことがない気配よ」

「役立たずかどうかはまだ判断できないけれど、不安要素であることは確かね」

――思いっきり不安要素が的中している……!

つまり魔力が無い俺には、この鍵は使えないってことだ――!!

「久我くん……? 大丈夫?」

「あっ、いや……えっとこれ、風呂屋がやってみてもらえないか」

「はっはい」

風呂屋に鍵を渡した。

元々、風呂屋はこれを使っていたんだ。

彼女に使ってもらうのが確実だろう。

「どこに行けばいいのかな……」

「図書館に行けないかな」

「図書館……わかりました、図書館図書館図書館」

風呂屋は目を閉じて集中しているようだった。

そして、手にもった鍵を回す。

ガチャリ。
これも俺が心に浮かべた音だったんだけど……。

「あれ?」

何も起こらなかった……。

「うそぉーどうして? いつもだったらこうやってやれば……!」

風呂屋は何度も鍵を開ける動作をしている。

でも何も起こらなかった。

「どういうことだ?」

俺はともかく風呂屋でも何も起こらない。

そういえば、鍵の要求する魔力が足りないと、目的地の途中の場所にしか繋がらないと言っていた。

風呂屋の魔力が足りなくて、この変な空間に通じてしまったとしたら、今の風呂屋は魔力がまったくゼロの状
態なんじゃないか?

と、いうことは。

「久我く~~ん、繋がらないですぅ」

やべっ……!

これって、まんまと二次遭難ってやつじゃあ……!

「だから言ったではありませんか。危険だから踏み込むなと」

「二次遭難の可能性があると、警告したはずですが」

「くれぐれも勝手なことをしないように、とも言いましたよね?」

「……………………………………」

モー子の言った通りになってしまった……。

またあの冷たい視線でボロクソに言われそうだな。

「久我くん、どうしたの? 突然、頭を抱えて……」

「あ、ああ、大丈夫だ」

ここを脱出しないと、モー子に嫌みを言われることもないのか。

嫌みは言われたくないが、脱出できないのはもっと困る。

風呂屋は俺を不安げな表情で見ていた。

「風呂屋、心配するな。ここが学園の中だというのは判ってるんだ」

「え! ここ、学園の中なのっ?」

風呂屋はあたりを見渡した。

無理もない。
学園の中どころか、どう見ても現実の世界とは思えないからな。

「ああ、そう言っていたやつがいる」

「そうは言っても、学園のいったいどこなんですか? やけに広いし、変な生物はいるし……」

「う、ううむ、それはそうなんだが」

「と、とにかく学園の中だってことは間違いない! らしい……」

「久我くんがそう言うなら、きっとそうなんだろうな……」

(ここが学園の中だとしても……久我くんとふたりっきり! ふたりっきりなんて……え、えへへ…)

(ひゃあっ! やだ、顔がにやけてきちゃうよう! 恥ずかしいぃぃ!)

なぜか風呂屋は、突然焦ったように俯いた。

だが、ここにいてもラチがあかない。

学園に戻る方法を考えなければ。

いや、ここは学園の中なんだっけか。

ええい、ややこしい。

「あの変な生き物はいないっぽいな」

俺はキノコの影から辺りを見渡した。

「久我くん、どうするんですか?」

「とにかく、その鍵が使えればいいんだよな」

「魔力の助けになるものがあればいいのか?」

鍵の助けになるものってなんだろう?

そもそも鍵って扉とか開けたりするものだから。

「扉があったほうがいいかもしれない」

「扉?」

「風呂屋も普段は扉のあるところで鍵を使ってたんだろ?」

「うん、だいたいはそう、だったかな……」

「扉があれば違うかもしれないな。探しに行こう」

「は、はい」

俺たちは、巨大キノコの影から辺りを窺ってから、そこから出た。

あたりは奇妙に静かだったが、例の生物がいないのは助かる。

歩き出したものの、ゴールは判らない……。
「そっ、そういえばお礼言ってなかったです!」

(そうだ。助けてくれたんだもん、ちゃんと言わないと)

隣を歩いていた風呂屋がそう言った。

「助けに来てくれてありがとうございました!」

「お、おう」

「でも俺も迷ってちゃ意味ねえよな……悪い…」

「そ、そんなことないですぅ! あの時、久我くんが助けにきてくれて、すっごく……」

(すっごくかっこよくって、なんか本当に王子様みたいだった……もしかして、教室でみた夢って正夢だった
のかも!?)

「え?」

「あ、ううん、すっごく助かりました。うんうん、助かっちゃいました!」

(あ、あわわわ、やだ、なんだか、さっきよりドキドキしてきちゃったよ……どうしよう!?)

「そうか? だったらいいけど」

「そうだ、風呂屋はどうしてここに?」

「はっ、えっとはい、移動教室に鍵を使って移動しようと思って繋げたんだけど、ドアの向こうがこの場所で
……」

気味悪そうに風呂屋はあたりを見渡す。

「あれって思って中に一応入ってみたら、例のその……あの変なのがやってきちゃって焦って逃げたら、ドア
から離れちゃって……」

「なるほど……ああ、手提げ持ってただろう?」

「あれは、逃げる時に手から滑り落ちていっちゃって。どこに飛んでいったのか、ちゃんと確認できなかった
んだけど……」

「上手い具合にドアの向こうに飛んでいったんだな」

それで手提げだけ廊下に残ったということか。

それがなければ、風呂屋が行方不明になった事実が明らかになるのは、ずいぶんと後だったかもしれない。

「そっか~。手提げが残ってたから、クラスのみんなが変に思って……」

「ああ。奇妙だったからこそ、俺たち特査に持ち込まれたんだろうな」

「そういう意味ではよかったのかも…」

「みんな、心配してたぞ。大騒ぎになってたそうだ」

「えっ、心配!?」

なぜか風呂屋はかあっと顔を赤くした。
(心配!? 久我くんわたしのことを心配してくれてた!? どうして!? だって、まだそんなに親しいっ
てほどじゃないのに……)

「心配してくれたんですか……?」

(も、も、もしかして、久我くんもわたしのこと、気になってたりするのかな……ひゃああぁ~)

「そりゃそうだろう。教室にくるはずだったクラスメイトが、突然消えたら誰だって……」

「え」

「ん?」

「……あっ、そ、そうですか…心配してたのはクラスの……」

「どうかしたか?」

「ううんっ、な、何でもないです!」

「そうですか……」

風呂屋は、なぜかそこで黙ってしまった。

(そうだよね……そりゃ久我くんがそんなに心配してくれるわけないじゃない)

「風呂屋?」

「あっ、いえ……そうですよね、突然いなくなったら心配かけちゃいますよね」

「久我くんがいなくなって、特査の人たちも心配してるんじゃないかって……」

「ああ……うーん……?」

おまるは心配してるだろうな。

まだ短い付き合いだが、あいつの人の良さはよくわかっている。

今頃、あの図書館の物置の扉の前で右往左往してそうだ。

でもモー子は……。

「だから危険だと言ったのに。本当に人の話を聞かない人ですね」

「まったくもって自業自得、かと。は? 知りませんよそんな人のことは」

「―――とでも言われてそうだ……ああああ……」

「久我くん?」

「あ、いやいや、うんまあ、心配してくれてるといいな。はは」

「それより、これからどうするか考えよう」

見渡すと広い空間。

この『異世界』はどこまでも広がっている一つの空間のようだった。

ただ、あちこちで雰囲気が違うゾーンがあるようだ。
俺は目を凝らした。

「ねえ……塔みたいなものが見える」

風呂屋が指さしたほうを見ると……。

「ああ、なんだろうあれ」

俺たちの前方に塔のようなものがみえる。

そして、右側がぼんやりと雲がかかっているかのように薄暗く、左側は逆に何かが光っていた。

どこに進もう。

大きな塔のようなものに向かって俺たちは歩き出した。

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