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(2006 新春改定版)

ヤスミン・ゴデール「苺クリームと火薬」

なぜイスラエルでは
コンテンポラリーダンスがこんなに盛んなのか?
イスラエルのコンテンポラリーダンスの背景と特徴

1. 帰還したユダヤ人の持ち帰った様々な異文化と中東の土着の風土や伝統が入り混じって、
独特な味わいを醸し出している
2. クラッシック・バレエの伝統的な様式への拘束や師弟関係がないので、自由で型破りなも
のが生れやすい。
3. 離散ユダヤ人が寄り集まって作った国なので、他者同士が共有しやすい文化要素が求めら
れていた。
4. 3の流れを汲んで、学校教育に徹底的にコンテンポラリーダンスがとりいれられた(主力
カンパニーの学校への出前公演、授業の一環として生徒を劇場に向かわせる、徴兵中の兵
隊を劇場に招く、成人してからも劇場の 友の会 制度で年間シートを確保する風習が定
着)
5. 4の流れとして結果、一般層に自己表現手段としてのダンスへの関心が自然と高まり
同時に観客に大変厳しい批判眼が培われる。
6.上記すべての環境の中で切磋琢磨され、生き残れるダンスカンパニーは、高い美意識や哲学
を保ちながら、かつ一般大衆への強いアピール力をもつものだけとなる。

*この資料についてのお問合せはイスラエル大使館文化部(TEL:03-3264-0392 cu.sec@tky.mfa.gov.il )へどうぞ。


カンパニー紹介
* 各カンパニーの連絡先はイスラエル大使館文化部にお問合せください。
(cu.sec@tky.mfa.gov.il)

1. バットシェバ舞踊団

イスラエルが世界に誇る第一級カンパニー(作品内容・海外公演数ともにナンバー1)。このレベルまで引

き上げたのはカリスマ芸術監督オハッド・ナハリンの功績による。近年まで島崎麻美、大野千里、ナハリ

ンの後継者として芸術監督に就任した稲尾芳文など、カンパニーのコアがほとんど日本人だった時期もあ

る。活動の拠点はテルアビブ市のスザンヌ・デラール・センター。来日公演は 1997 年(招聘元:日本文化

財団)に一度。NHK の「芸術劇場」で放映されたこともあり、初来日ながら爆発的な人気を博した。その

後バトシェバ・アンサンブル(若手チーム)が 2002 年「マイナス 16」を上演(会場は青山劇場・びわ湖

ホール)。2005 年にオハッド・ナハリンが芸術監督・振付担当に再就任。2006 年新春ナハリンは、日本の

気鋭なアーチスト束芋とスエーデンにてコラボレーション作品を制作する。ナハリンの振付でバトシェ

バ・ダンサーたちが束芋のビデオアートともに踊る、今までに無いタイプの作品になりそうだ。音楽は、

2006 年 3 月にダンス・アンド・メディアの招聘で来日するバトシェバのサウンド・デザイナー、オハッド・

フィショフ。

2.キブツ・コンテンポラリー・ダンスカンパニー(KCDC)
ホロコーストの生き残りである伝説的な女性振付家ユーディット・アーノンが築いたイスラエルで2番目

の巨大カンパニー。北部地方にあるキブツ・ガートンを活動拠点にして、若い芸術監督ラミ・べエルに
率いられている。ホロコーストへの追憶を表した「エイドメモア」はバトシェバ来日以前の 1995 年、新宿

文化センターを埋めた日本の観客に大きな衝撃を与えた。その後 2000 年にも来日。現在は、欧州で研鑽を

積んだ実力派若手の大友正子がスターの一人として頑張っている。

3.インバル・ピント・ダンスカンパニー

美術畑出身の振付家インバル・ピントと人気俳優アブシャロム・ポラックが率いる売れっ子カンパニー。

90 年代後半から欧州各地のフェスティバルでめきめきと頭角を現す。
「ラップト」や「デュエット」など

の個性的な小作品の積み重ねから花開いた大作「オイスター」は 2001 年神奈川県民ホール(招聘元:神奈

川芸術文化財団)で大成功を収めた。作品はファンタジックなビジュアルとやや残酷ささえ感じるシュー

ルなストーリー性で織り成される独特の世界観をもつ。
「オイスター」は、もの悲しいサーカスや見世物小

屋を連想させる。 可愛い と 気持ち悪い が絶妙な配分で、おしゃれな若者から家族連れまで巻き込む


不思議なパワーがある。2005 年 9 月末には「オイスター」とその続編とされる「ブ−ビーズ」で、つくば

カピオ、びわ湖ホール、世田谷パブリックなど日本ツアー。その模様は「NHK 芸術劇場」で放映され日本

全国で大ブレイク。因みに最新作の「What good would the Moon be 」は、装飾的な部分を押さえた分、

圧倒的なダンスと持ち前のユーモアで魅せる逸品。
4.クリッパ

コンテンポラリーダンスというよりはパフォーミングアーツという形容がふさわしい業界でも異色のカン

パニー。バトシェバ出身のイスラエル人ダンサー、イディット・ハーマンとロシアの工芸学校→軍楽隊出

身ディミトリー・テュルパノフが率いる芸術家集団。舞台美術や衣装、装置、そしてアスリート並の身体
能力に強いこだわりを持つ。破天荒なものにすっかり慣れきっているイスラエル人たちをして アバンギ

ャルド なカンパニーと言わしめる独特のクセが特徴。美術館のような屋内装置から野外水上での作品も

こなす。かなり早い時期から日本の舞踏に着目していて、大駱駝艦の若林淳、元山海塾の工藤丈輝など舞

踏家とのコラボレーションに大変積極的。2004 年 BankART にて工藤とコラボした「分解図」を発表。2006

年セッションハウスに再来日予定。

5.エマニュエル・ガット

カンパニーは組んでいないが、今もっとも旬なダンサーの一人。国内と欧州で大変人気が高く公演回数は

相当なもの。体の芯から湧き出すようなエネルギーを、ダイナミックで疲れを知らぬスピード感で表現す

るまさに 肉体派 。ダンスとはそもそも何だったのかという原点に立ち返らせてくれるような芸風が特徴。

ちなみに指導スキルにも定評があり、スザンヌ・デラール・センターのワークショップ責任者という大役

を果たしている。日本には 2003 年に初来日(セッションハウス、ダンスボックス)


。2004 年 11 月に「ダ

ンスビエンナーレ東京」
(青山劇場)が招聘。
6.ノア・ダール・ダンスグループ

知性派で知られるノア・ダール率いる中堅カンパニー。2000 年世田谷パブリックシアターで行
われたワールド・ショーケース ダンス・ウエーブ でフリーダ・カーロをモチーフにした「ア
イザウルス・フリーダ」を発表、2001 年東京国際芸術祭招聘により新宿パークタワーで「アキ
レス・テンドン」を公演。
「アキレス」は当時のイスラエルダンス界の流行を示す セリフのあ
るダンス で、観客はイヤホンで日本語訳を聞きながらダンスを観賞した。知的なアピールとは
うらはらに、ダンスの身体表現は原始的ともいえるような素朴で爽快なパワーに満ちている。
2004 年 12 月、ノア・ダールは相変わらず知的なデュオ作品「甘い抱擁」を発表。2005 年は「雲
とスープ」という比較的大きめの作品をスザンヌ・デラール・センターにて発表した。

7.ヴェルティゴ

息の長い中堅カンパニー。他のカンパニーと決定的に違うのは、かなり以前から映像との組み合
わせに取り組んでいたこと。いわゆるメディア・ミックスを得意とするカンパニー。リーダーの
アディ・シャアルは元イスラエル空軍パイロット。戦闘機がきりもみ状態で落下するときの眩暈
という言葉をこのカンパニー名に冠した。1997 年に来日(森下スタジオ、JCDN)
。その当時、
東京芸術見本市でみせたショーケースはカポエラの影響を強く受けていた。最近ではドーム型の
テントを野外に張り、内部を真っ赤な土で満たしたセットで踊られる「不死鳥の誕生」という新
作はまさに野外でドロだらけの原初の踊りだった。2005 年、彼らはモダンバレエのような動き
でライブバンドとともにレトロなショーダンスを披露。まさにカメレオンのように作風が変わる
カンパニーだ。
8.ヨシ・ユングマン

バトシェバのソロ・ダンサーとして長い間活躍していたダンサー。最近は独自のグループを発足。
アルゼンチン出身のユダヤ人で、異文化への関心が非常に高く、日本では大野一雄の門を叩き、
舞台衣装は三宅一生というこだわりよう。90 年代後半から 2000 年にかけて頻繁に来日、公演や
ワークショップ(世田谷パブリック、セッションハウス)を行った。特にミュージシャン組んで
ユーモラスなデュオを展開する「デュアローグ」という作品は日本では大変好評だった。

9. イドー・タドモル・ダンスカンパニー

1996 年に両国・シアターXのダンスフェスティバルに参加。少々同性愛的な風情のある独特の
芸風。さすがに、蛍光オレンジの海パン一丁で踊っていた 10 年前に比べると今は少々地味にな
っているが、エロティシズムとシャープな動きは健在。

10.リアット・ドロール&ニル・ベンガルカンパニー
(写真なし)
リーダーのリアットとニルは 95 年に日本に上陸、イスラエルダンスの日本進出の道を切り開い
た。カンパニー自体は 80 年代にバニョレ振付賞を受賞して以来 90 年代後半まで、国際的にブレ
イクし世界中のフェスティバルを疾走していた。当時発表した「ダンス・オブ・ナッシング」は
官能的な表現と、ステージ上でクッキーを踊りながら捏ね焼き観客に振舞うなど斬新な演出で観
客を驚かせていた。その後、活動拠点をイスラエル国内の砂漠地帯に移し、キャラバンのような
独特の共同体を築いて、業界の流行に左右されない独自の表現を貫いている。

11.ヤスミン・ゴデール(もうすぐ来日!)

今、ヨーロッパ(特にフランス)でひっぱりだこの振付家。2003 年発表の「トウー・プレイフ
ル・ピンク」はがっちりとした顔立ちの女性ヤスミンと、金髪で可憐な美少女が、グロテスクな
表情と奇妙な動きで繰り広げる毒を含んだ不思議な美しさで極端に賛否が別れた。ダンスファン
というよりも、おそらく美術ファンなどにうける芸風。2004 年ヤスミンは以前よりも大きなス
テージセットを配し、出演者数も多い大きめな作品を発表した。タイトルは「苺クリームと火薬」

イスラエルとパレスチナの紛争という重たいモチーフを真正面から扱い、大変なセンセーション
を巻き起こした。こんなに政治的な主題(本人は自分の生きている現実に目をむけただけという
ことだが)を真正面から取り上げた作品やカンパニーは、今までイスラエルになかった。また舞
踊としてのスタイルの面でも、彼女が他のカンパニーに与えた影響は大きい。そんな彼女と仲間
たちがいよいよ待望の初来日。2006 年新春現在、ヤスミン・ゴデール&ブラディ・ベンチプレ
ーヤーズこそがイスラエルダンスの最強にして最先端のカンパニーといえるかもしれない。
12.サハール・アジミ

バトシェバやクリッパ、ノア・ダールにエマニュエル・ガットなど錚々たるカンパニーで助っ人
をやっていたサハルは、2003 年の インターナショナル・エクスポージャー で発表した「ヘ
ルツェル曰く」が好評。コミカルな味わいのなかにも剃刀のようにシャープな切れ味がある次世
代を担う振付家。ダイナミックなダンスと顔使いも楽しいお笑いテイストの作品「it is as it is」
は絶品。2005 年 2 月に「アジア・ダンスフォーラム」参加で来日、セッションハウスにて WS.

13.シュロミ・ビトン

ロレックス社メントール・プログラムで勅使河原三郎審査の最終選考 4 名に残った一人。長髪に
ヒゲなので年齢よりも老けて見えるが実はまだ 20 代という若手。出身が演劇の町アッコである
影響で、アッコ・シアターセンターで公演される演劇作品に振付けたりすることからキャリアを
スタートさせた。キブツとも関わりが深くユーディット・アーノンの愛弟子でもある。2005 年夏、
待望の来日を果たし、大阪ダンスボックスでの公演をはじめ、東京・福岡・札幌など各都市でWSを展開。

再来日への足がかりをつかんだようだ。2006 年青森県立美術館開館記念イベントでシャガールをテーマに

作品を発表予定。その後、札幌・東京・大阪などでWS開催予定。
14.レナナ・ラズ

2001 年にノア・ダール・カンパニーのメンバーとして来日経験あり。近年は振付家としてだけではなく、

舞台女優、テレビのトレンディドラマの主役、ベニスビエンナーレで美術家とコラボレーション、そして

スピルバーグ映画「ミュンヘン」への出演など、他のイスラエル人振付家にはありえないような華やかな

キャリアの持ち主。ここ数年は俳優・舞踊家であるオフェル・アムラムとパートナーを組み毎年意欲作を

発表し続けている。最新作「モーテル」は男女の欲望をどろどろの絡みとちょっとしたユーモアをブレン

ド。

15.ロイ・アサフ

2004 年「ダンスビエンナーレ東京」
(青山劇場)でエマニュエル・ガット「冬の旅」に出演、その後イス

ラエル国内でも高い評価をうけ、2005 年スザンヌ・デラール・センターの シェードインダンス・フェス

ティバル で振付家賞および観客賞を受賞。ダイナミックでキレがあり、しかも優雅なところは先輩のエ

マニュエル譲り。今後独自の路線をどのように展開していくか、かなり注目度が高い(写真男性のほう)。
16.アルカディ・ザイデス

バトシェバ・アンサンブルからヤスミン・ゴデールと共演するブラディ・ベンチプレーヤーズへと、人気

者のダンサーはあっちこっちのメジャーカンパニーからひっぱりだこ。しかし売れっ子ダンサーに終わら

ず、映像系アーチストと組んで自分のオリジナル作品を発表。2005 年の"インターナショナル・エクスポ
ージャー は彼の存在感がキラ星のように輝いて話題になった。2006 年 3 月にヤスミンとともに初来日。

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